大分県竹田市より研修に来られました

 平成29年2月2日に「竹田市 新しい地域ささえ愛推進会議」から、行政・社協・関係団体総勢18名の方が視察に見えました。

 

 平成27年度から介護保険制度が見直され、これまでの要支援の方々のサービスは、介護保険から切り離して市町村事務として地域社会で支えようとしています。その中で移動支援をどのように設計するかが大きな課題となっており、全国の市町村で検討されておりますが、なかなか上手い案は出てきておりません。

 

 車社会の現代、特に地方においては、車がなければ生活できないといっても過言ではありません。しかし、他人を有償で運送するには「道路運送法」という法律が適用されます。

 

 この法律(道路運送法)は昭和26年に制定され、その後、時代の変遷に合わして改定が繰り返されてきました。平成18年の一部改正で「自家用有償運送」の登録制度が位置付けられました。

その内容は

1 公共交通機関のみでは、移動制約者等に対する輸送サービスの提供ができない状況である

   こと。

2 提供できる団体は、市町村、特定非営利活動法人等であること。

3 利用対象者は、「他人の介助によらずに移動することが困難と認められ、かつ、単独でタ

  クシーその他の公共交通機関を利用することが困難であると認められる者。

  (公共交通空白地有償運送は別)

4 運行対価(料金)は、燃料費その他の費用を勘案して実費の範囲内と認められること、

  営利を目的としているとは認められない妥当な範囲内であること。

等が条件となっております。

 

 果たして、現在の車社会(車がないと生きていけない)の中で、在宅で生活している高齢者等交通弱者が、この法律に基づいて、移動手段を確保して在宅生活が送れるでしょうか。とても無理です。住み慣れた街で生きがいをもって憲法で保障されている「文化的な生活」が送れるでしょうか。

 

 このような状況の中で、地方、特に限界集落的な地域での通院・買い物時等の足の確保は待ったなしの状況です。

   ・待てば行政がどうにかしてくれるか?

  ・現行法令上そこまで目が届いた制度となっているか?

大いに疑問です。

  ではどうすればよいか?

 移動手段の方法は、それぞれの地域で地理的条件をはじめ大きな違いがあり、「この方

 法」が各々違います。「この方法」は、そこで生活している住民にしか判りません。

  住民自ら、「わが街もそのようなサービスを」ではなく(横並びの目線)

  わが街にはこのような内容のサービスがなくては生きてはいけない。(生きていくために必要なサービスは何か)

  そのサービスを地域社会自ら生み出すためには自分たちで何ができるか、何ができないかをしっかり見極めたうえで、その実現に向けて、法制度の解釈も含め、人・モノ・金に対し行政がどのような支援が可能かを検討すべき。その議論を重ねて、わが街に見合った外出支援サービスを地域住民自ら生み出さないと有効な本当に必要なサービスは生まれないと思います。(現場からの目線)

 

 ・・・・・というような意見交換をしました。

 

 

 移動サービス内容は、地域・地域で異なります。当会のやり方が、竹田市に適用できるとは思いません。どうか住民自ら「金も知恵」も出す覚悟で、行政・公共交通機関も含めて竹田市民が必要としている移動サービスを生み出されることを願っております。

 

 

 現在の車社会について、私は感じております。

 この便利な車社会、反面、車(移動手段)を持ってないと日常の生活が送れない時代です。それは地方(限界集落)になるほど深刻で病院にも、買い物等にも行けない、まさに住み慣れた街で在宅生活が過ごせない厳しい現状です。

公共交通機関の充実した都会の人達には実感できないでしょう。

 

 憲法第25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければまらない。」と謳っています。

それを実現するための移動に関する法律が道路運送法でしょうか。

道路運送法は憲法第25条を担保するための法律ではないと思います。なのに、自家用有償運送についての規定をこの法律に位置付けたのがそもそもの間違いです。

 さらに、有償運送に対峙して地域社会でお互いに支え合う外出支援活動(無償活動等)をこの土俵で議論することに違和感を感じます。

 

 公共交通機関がぜい弱で移動が確保できない地方で、地域社会で支え合って生きていこうとしている人々に対し、有償、無償、実費の範囲、点呼等等枝葉末節のことを議論している時ではないと思います。

そのような議論は、道路運送法を所掌している国の担当部署の思うつぼだと思います。

 

 一方、車の運行には他の「地域ささえあい活動」に比較して危険率は高いのも事実でしょう。危険率を下げる工夫を当事者・行政が一体となって取り組むのは当然。そのうえで、万が一事故になった場合の最終的な責任は行政がとるべきだと思います。それは、この活動は「街づくり」なんですから。それを地域住民が損得なしに「住み慣れたわが街で住み続ける」ため支え合って生きていく努力(共同作業)の結果なんですから。

 

 最終的に行政が保障するというセフティーネットがないと、地域社会のより多くの市民の支援活動(外出支援活動)に対して共感は得られないと思います。

 

 繰り返しになりますが、このような活動(地域ささえあい活動)に対し、自家用有償運送の土俵で議論することは馴染まないと感じます。

私は道路運送法とは全く次元の違う議論が必要と思います。

                    

                               代表 平野征幸